殴るなら殴られる覚悟をせよ

Yahoo!ニュース光高校爆発事件


本日の文章は、かなり問題のある内容になるかと思います。
不愉快になられる方もおられると思いますので、ご注意を。














光高校爆発事件について。
えー、ぶっちゃけた話、どっちもどっちだなー、なんて思っちゃいました。
むしろ、今回事件を起こしてしまった高校生の方に、少し心情は傾いています。


クラスの不特定多数を標的にしてしまったのは、やってはいけないことだとは言えますが、
俺はいじめに関しては、いじめられた側の報復行為はやっても当然のものだと思ってます。

やられたらやり返す

それを実行する際の基準の高低・報復内容は、ちょっと無視しますが誰にでもこの権利はあるはずです。手前らだけが、やりたい放題だと思ってる方が阿呆だと言えます。


ただ、それだけで報復行為容認に至ってるわけでもありません。
仮にいじめを苦に自殺して遺書にいじめたヤツの名前書いたとしましょう。
警察とかは動くかもしれないが、いじめたヤツが更正するとは限らないんですよね。
むしろ、人が死んだことをほくそえむような外道も間違いなくいます。
俺の場合は、わざわざ楽しそうに笑顔で殺そうしてくれるようなヤツも多々いましたが。
もちろん、問答無用で殴らせていただきました(凶器として机使用)


ちと話がずれましたが、死ぬことで報復になることはまず滅多にないです。
まぁ、逃避として自殺を選ぶのも別に否定はしないんですが、
それでは、何もかも報われない気がするので肯定も出来ません。
・・・うむ、また話が本題からずれている。


いじめられた側の報復容認の考え方を決定付けたのは高校の時でした。
これは、俺が高校の時に小・中とずっと引きずってたいじめ絡みの悩みを親友Oに聞いてもらった時に言われた言葉です。

「お前、自殺考えたって言ったけど、相手半殺しにした? 自分死んで、相手がそれ聞いて笑いな がら生きてるの考えたら腹立たねぇか? それ位やったら、相手に生き地獄見せさせて二度と手 を出させねぇようにしたほうが、よっぽどマシやぞ?」

この一言で悩みは飛びました。迷いも吹っ切れました。

いじめやってる側が、何のリスクも背負わずに好き勝手やってる方が間違ってるじゃねぇか。なぜ、自分一人耐えてる必要がある?

こんなわけです。
精神的・肉体的に人を傷つけていくことに対して、リスクがないのがおかしい。
ここから、傷つける側が負うべき最も身近であるリスクは何かと考えた時に出たのが報復行為です。
法でもなく、罰金でもなく傷つけられたものによる報復。間に介入するものがないことから最も身近なものであると考えました。

よって報復行為は傷つける側が背負うべき正当なリスクである、というのが自分の見解です。


とりあえず今回のニュースに関して、怪我しちまった無関係の生徒に対しては同情するが、

『「(男子生徒が)あんなことをしたのは自分のせいかもしれない」と自らを責めており、泣きながら話す生徒もいたという。』

これを言った生徒については、甘いこと言ってるんじゃねぇぞ、とだけ言いたいです。

いじめなど人を不愉快にさせる行為についてはリスクが付いて回って当然。
それを覚悟せずに、面白半分で人を傷つけようとする考えがぬるすぎる。
それでどんな事件が起ころうが、その事件を起こした要因のうち最低でも半分は行為を行った側にある。
それによって、どれだけ泣きを見ようがそれこそ自己責任だと俺は考えています。
それが嫌なら、後悔をするなら、泣き言をぬかすなら――
はじめから、いじめなんざやるもんじゃねぇ。

最後に一つ、

人に不快感を意図して与えるのなら、それ相応のリスクを覚悟しましょう。

ついでに、リスクをどのような形で支払う羽目になってもいいように覚悟はしておきましょう。

俺みたいに、やられたらやり返せが、

やられたら殺りかえせ

に変貌する人間ってのはゴロゴロいるもんですので。





あー、なんか趣旨が変わってしまったなーもう・・・。
賛否両論っつーか、否定意見しか出ないだろうがコメント待ってます。