就活で分かる自分が抱える人間性の欠陥

本日、就職面談のおいての教授からの一言。


「自分の将来を決定する事柄なのに、他人事のようだね」


お見事、と言いたくなりました。




ぶっちゃけた話、半分他人事のようになってます。
むしろ、他人事の方が自分はしっかりやります。自分のことだから、正直どーでもいいというか・・・。他人が迷惑・被害こうむるのは嫌なんですけど、自分が痛い目に会うのは別に問題ないという感じでしょうか。
だからと言ってNEET希望なわけじゃないです。就職は重要だとは思ってます。
ただ職に就きたい、じゃなくて職に就かなければならない。
なんつーか自分の希望を挟む余地が考え方の中にほとんど入ってない。
希望することが無いわけだから、自分から進むことが出来ずに結局受身の形になる。
そして、後手後手にまわって就職浪人といった感じでしょうかね?
就職浪人決まった時点で、詫びいれで首吊る気満々ですけどねー。



恐らく、問題をたどってくともっと自分個人の人間的な点での問題になるんですがねー。
まぁ、就職に限らず将来を考えるってことはどういうことであれ、自分が未来を生きていく事を考えますよね。
自分にはその『未来を生きている』っつー前提がひっくり返ってます。なんせ、自分が現在を生きている事自体間違いか、なんかの冗談のようにしか考えられないんで。
以前書いたと思いますが、自分が今生きている理由は研究室の仕事があるからといってもいいです。仕事が割り当てられてるうちは、自分の存在がなくなることで迷惑がかかることはほぼ必須です。その間は、少なくとも他者への迷惑・負担を減らすためにも生きていなくてはならないと思います。逆にそれがなければ、別に何時死んでもかまわないです。自分は『生きている』ではなく、『生きていなくてはいけない』という考え方の上、それを他者に依存していることになるのだと思います。自分のために生きる気が毛頭無いっつーのが問題でしょうかね、やはり。なんせ仕事の事忘れてると、ふいに車道や線路に飛び出したい衝動にも駆られますし、研究室が高い位置にあることもあってか飛び降りたいとも思ってしまいます。日々生きようとするんじゃなくて、死のうとしてるというかなんと言うか・・・。



それ以前に、自分にとって『将来』なんてものは5年前にとっくに終わってるはずのものだったのでどうすればいいのか分からないんですよね。10代になるころにはとっくに人生設計で二十歳で自殺としか考えてませんでしたからねー。ガキの時点で将来設計投げ捨てていたのがまずかったなー。人生設計そのものを捨てていたので、人生の分岐点で将来考えて自分の石を加えると言うこともなく、高校については自分の意思は介在していませんし、大学選んだのも行った高校が進学校だったからともいえますし、今更ではあるものの選んだのもなんとなくでした。院進学についても、正直言ってしまえば親からの希望でした。まぁ、あの時就活したとしても浪人は確定でしたでしょうが。
さらに、ちゃんとした姿を見せたいと思っていた祖母も亡くなり、常に自分が『生きていなければ』と考える楔がもうなくなってしまってるんですよね。
しっかりした弟がいることを考えれば、別に自分が死んでも血は絶えない訳だし、そこは問題なし。
こう考えると、別にいなくても問題ないとしか考えられないんですよね。マイナスにしかならない者がいるならゼロにした方が手っ取り早くプラスに出来ますし。



なんか話が大いにそれていますが、結局将来をはなッから投げ捨てて、人生決めるときに他人に言われたとおりにだけ生きてきたのがまずかったんでしょうね。言われたとおりにするから、もうかってにやってくれって。だけど、後悔はあまりして無いんですけどね。そうでもしなければ、10年前には自分墓の下だったんで。
でも結局それがよかったのかと言えばそうでもなく・・・。
後悔らしい後悔といえば、初めて自分の意思を試された時に徹底的に抗戦して自分の将来捨てずに命捨ててたほうが、今の死にたいと考えながらも生き続けるよりかは、よっぽどましだったんじゃないかと思います。



今年の就活の成否が、恐らく自分が自分のために生きる道を見つけられるかの最後のチャンスです。そして、自分の生死にも関わってくるはず。考え方が変われるかどうか、そこが問題・・・。