人を生かしているものとは?

なんもネタがないんで、ブログの名前どおり徒然と書いていきます。

あ、なんかこれ前も使った気がするー。






本日の話は題名では、生きることについて書こうとしてるっぽく見せてますけど、
ぶっちゃけ、死ぬことについての話です。

えらく鬱展開というか、こうなったら景気よく首吊っちゃえー
みたいな気分になる可能性も高いです。

あと、あくまでも私のようなかなり人格の根っこの方で、
生きることと人生にあきらめている人間の主観であるということを心に留めといてください。


まず、人を生かしているものは何かという話なんですが、
一般的に言ってしまえば、夢だったり、欲だったり、執着だったりが該当していると思います。

ただ、自分が考えているものはそれらとは異なり、恐怖だと思います。
それも、小説やドラマなんかで使われている(違ったらごめん)忘れられる恐怖ではなく、
もっと即物的な苦痛、言ってしまえば痛みに対する恐怖だと思っています。

死ぬ時は老衰によるものでない限りは、大抵その直前とかに耐え難い苦痛を味わいます。
それは、やっちまえば一瞬といわれている飛び降り自殺でも、
死ぬほんの一瞬に感じる痛みへの恐怖、
または、まかり間違って即死できなかった場合の苦痛に対する恐怖、
という形で存在していると思います。

一応俺の体験談ですが、自殺する時に悩む、というか踏みとどまってしまうのは、
生きていく時に与えられる苦痛から死ぬ事で解放されるという解放感(安心感か?)と、
その解放の直前に感じるであろう想像を絶するであろう苦痛との比較の結果、

瞬間的な激痛よりも、そこまでひどくない苦痛を延々受け続ける方が楽じゃないか?

と、迷い始めるからでした。
まぁ、そこで後者を選んだというか、こらえ性がなかったから後者になってしまったというか、
今をこうして人生斜めに見て生きているわけですが・・・。

これは、伝説(?)の発禁本『完全自殺マニュアル』にあったものなんですが、

一番楽な死に方は飛び降りと首吊り。
首吊りは頚椎が外れるようにやれば痛みを感じる前に即死し、
飛び降り自殺は、落ちるという恐怖にさえ耐えれば痛みはほとんどない。
(後者は先ほどの私の意見と矛盾していますが・・・)

見ての通り、死ぬ際の苦痛に対すること、結構重要視しています。

ちなみにこれはおすすめの自殺は? ということに対する内容だったと思うのですが、
これを見て一つ分かることは、


自殺=自己による死=自分が持っている死へのハードル

というふうに見るとすれば、


おすすめが苦痛の少ないもの → 苦痛が少ない=死へのハードルが低い


と見ることが出来るのではないかと思うのです。




苦痛が少ない=死へのハードルが低い


という点は、言い換えてしまえば、苦痛が大きいほど死へのハードルが高い。
つまり、苦痛に対する恐怖こそが、
人間を生かしているものの一つであるとは考えられないでしょうか。



では、逆に人が死を選ぶときというのはどういうものでしょうか?
これまでの話から分かるとおり、

死ぬ時の苦痛を生きていることで感じる苦痛が上回った時

ではないかと考えられます。
んじゃその苦痛をとっぱらったら、簡単に死を選ぶ人間が増えるのか?
増えるは増えるでしょうけど、思うほどは増えないと思います。

それは何故か?
理由は最初に述べた『一般的な人を生かしておくもの』があるからです。

執着や欲、もっと簡単に言ってしまえば未練、しがらみといったところでしょうか。

これによって、『死を選ばない』だけの消極的な生ではなく、
『生きていなければならない』といった積極的な生に変わっているのではないでしょうか?


まぁ、大抵自殺する場合、そういった未練を苦痛が上回ったり、
本来しがらみとして機能するはずの人間関係が、苦痛そのものに変わってたりするんですけどね。


これまでのことを逆に取ってしまえば、死なない(少なくとも自殺では)方法は、

死ぬときの地獄のような苦痛を想像する(とことん、死を嫌う)
この世にしがらみ、未練を多く作る(是が非でも生きなくちゃいけない状況をつくる)

ってとこですかねー。

楽なのは後者ですね。
例えばなんですが、

『PCにとても人には見せれないエロ画像がある。ここで死んだら、これが人の目に触れる!』

なんつーのもしがらみですからねぇ。









こっからあとは、かなり欝なので出来れば見るのはご遠慮ください。
あくまで俺の独り言、日記としての部分です。



















ちなみに、自分の場合は死の苦痛が無くなれば、あっさり死を選ぶ方ですねー。

しがらみはあるんですけど、それの働きが死ぬほど薄い。
どれだけしがらみを増やしても、根本的なトコで生きようとしていないというか、
自分を捨てているというか・・・。

『ぶっちゃけ、なんで俺まだ生きてるの、とっとと死ねよ』

ってのが、常に頭にあるんで、しがらみが蜘蛛の糸程度にしか働いていない。

今の院生という誰かの面倒を見る立場、
あと、俺が俺を育てるために使用したお金。

これ位しか、しがらみらしい、しがらみになっていない。


友人関係はもちろん大切なんだが、自分が生きていく理由にはなっていない。







あくまで自分は商品のようなものであり、代替品のある量産品であり、
唯一無二のものではない。


見合った対価分何かすれば、むしろ存在しても邪魔なもの。
基本的に自分は、対価を支払うまでは強制的にでも生き、
対価を支払い終えたなら、速やかに廃棄されるべき道具である。

これが、私の自分に対する評価である。