趣味と萌えと偏愛と

http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/enter01.htm:title:萌えの入口論


自分がよく回っているHPからのリンクにあったので、ちょっと読んできてみました。
内容は言ってしまえば、『萌える』ということの解説や分析といったところです。

この中で、なかなか面白いことが書いてありました。
まずは、萌える≒好き であるという話。
それと、『萌える』ということは、その対象の中に自分の理想的な感情や像などを投影すること、という内容です。
実際に例を上げてあったものは、模型・イラスト・キャラクター・パソコン・猫etc、
いわゆる無機物(って言っていいのか?)と意思をこっちで勝手に汲み取ることが出来る対象でした。
無機物に関しては、こちら側の理想を投影させやすいという点が、
猫などの場合は、意思の疎通が確実に取れないため、自分の理想的な意思を投影することが出来る点が、
『萌え』の対象となる理由と書かれています。


ここで、自分の『萌え』というか『偏愛』なモノをいいますと、
刀剣類があげられます。

(ちなみに『偏愛(フェチ)』は『萌え』の延長上らしいです)

半年前にも書いた記憶があるのですが、特に日本刀が好きで、友人と語っていたら、

「お前のそれは萌えじゃなくてフェチだ」

なんつー事を言われたことがあります。
少し考えてみましょう。
萌えるというのは、対象に自分の理想の投影。
そして、偏愛(フェチ)はその延長上。

ならば、過度の己の理想の投影、またはやば過ぎる理想の投影こそが偏愛ではないだろうか?
では、その境目は何か?

あくまで自分個人の考えですが、思考にキケンなものが混じるか否かではないでしょうか?

自分の場合は、切れ味に関する話をし始めたとたんに言われていますので、
その『萌え』自体に、何か危険な要素が混じるか混じらないかが分かれ目ではないかと・・・。


まー、なんでしょー。
一応言いたいことは、『萌え』にしろ『偏愛』にしろ、
国家権力のお世話にならない用に注意しようぜってトコで・・・。


P.S
あー、後一部の友人に言いたいこと。
俺はロリコンじゃねぇって何度言えば分かるんだよ!!